アンチナタリズムの分類

アンチナタリズムの分類


 

はじめに

ここでは、アンチナタリズムのおおまかな分類について説明する。

Contents

1. アンチナタリズムと反出生主義
2. 博愛主義的アンチナタリズムと厭人主義的アンチナタリズム
3. 強いアンチナタリズムと弱いアンチナタリズム
4. エフィリズムとアンチナタリズム


1. アンチナタリズムと反出生主義

反-出生主義はAnti-natalismの日本語訳であり、アンチ-ナタリズムはそのカタカナ読みである(natalismの発音はネィタリズムの方がより正確だが、natalismの訳語として既にナタリズムが辞書に掲載されていた)。 用語の由来については『Review of Suffering | vol.1 アンチナタリズム』の第1章を参照。

すなわち、これらは同じものを指した別の表現である。しかし、同じものと言ってもanti-natailsmそのものに意味の拡がりがある。

基本的な定義としては「新たに子供を作り出すことに反対をする立場」であり、一般的には「生殖を道徳的に間違いであると考える立場」であるが、この子供というのを、ヒトに属する子供のみに限定して議論する種差別主義的なanti-natalistや、そもそも生殖自体の価値判断に基づく動機を持たないにも関わらず、anti-natalistを自称しているものもいる。例えば、単に個人的な子供嫌いや、生まれたくなかったという思いの表明であると勘違いしているものたちである。

特に、道徳的な理由とは異なる動機でanti-natalistを名乗っているものたちは、反出生主義という用語を用いる集まりに属していることが多い。

一方で、アンチナタリズムという用語は、主にビーガンを中心に広まっており、より堅固な道徳的な基底を持つ場合が多い。

ビーガンの中にも、博愛主義的というよりは厭人主義的なanti-natalismに基づき(この分類については以下で説明)、ヒトの絶滅のみに重点を置くものも多いが、少なくともヒトによって強制的に出生させられているヒトでない動物の状況について考えれば、生殖が道徳的に問題になるのは決してヒトに限ったことではないという認識は共有している。


2. 博愛主義的アンチナタリズムと厭世主義的アンチナタリズム

プロナタリスト的な社会においても、生殖が問題にされることがないわけではない。しかし、多くの場合それは、既に存在しているものへの不利益を考慮してのものである。例えば人口過剰による紛争や資源不足や環境破壊への危惧から来るものなどである。しかし、博愛主義的アンチナタリズム(philanthropic anti-natalism)は、既に存在しているものではなく、これから生まれてくる潜在的可能性を持つものを考慮した立場である。

すなわち、生まれることで様々な苦痛を回避することは不可能であり、生まれてくることは総合的に見て損害を被ることであるという認識に基づくものである。この分類を行ったデイヴィッド・ベネター(David Benatar)は、この議論はあらゆる知覚を持つ存在に適用されると議論している(博愛主義的議論の1つのアプローチである非対称性に基づく議論については、コチラを参照)。

一方、ベネターは博愛主義的立場に加え、厭人主義的アンチナタリズム(misanthropic anti-natalism)も有効なものだと議論する。

ヒトはあらゆる形で同種および他の種に属するものたちに、極めて大きな害をもたらしてきた。これは、例えビーガンのような他の種への害を最小限に抑える生活をしているものであっても、環境への負荷や日々の生活で他者にもたらすストレスや危害を考慮すれば例外ではない。厭世主義的アンチナタリズムは、このような影響を持つ種がヒト以外に存在したら、我々はそのような種は存続すべきでないと考えるだろうという認識に基づくものである(厭人主義的議論についてより詳しくは、コチラを参照)。

人類の環境に及ぼす影響を考慮し、人類は絶滅すべきであると主張するVoluntary Human Extinction Movement(自主的な人類絶滅運動)も、この立場に分類することができる。ただし、彼らは環境という抽象的な概念を崇拝しており、それを構成する個々の生物の苦しみやウェルビーイングに直接焦点を当てているわけではないため、ベネターが一般的に提唱しているものとはニュアンスが異なる。


デイヴィッド・ベネターのインタビュー

これらの2つの立場は互いに相容れないものではない。生まれることは被害を被ることであるが、存在を得た以上加害者となる。どちらも同時に問題であると認識することはできる。


・強いアンチナタリズムと弱いアンチナタリズム

これはネガティブ功利主義者デイヴィッド・ピアース(David Pearce)による分類である。彼は、生物の主観的経験は、ポジティブな経験よりも圧倒的にネガティブな経験に特徴づけられるというようなベネターの議論の前提は否定しないが、グローバルなアンチナタリズムの適用は、彼自身も目指す世界から苦しみを根絶するためのアプローチとしては有効ではないとして退ける。

そのような普遍的に適用されるアンチナタリズムを、強いアンチナタリズムとして、個人的な判断によって生殖を控える弱いアンチナタリズムと区別する。彼は代替として、バイオテクノロジーによって生物をゲノムから再エンジニアリングすることで、苦しみを根絶することを目指している(ヘドニズム的使命参照)。


4. エフィリズムとアンチナタリズム

エフィリズム(Efilism)は、LifeとはConsumption(消費)、Reproduction(生殖)、Addiction(依存)そしてParasitism(寄生)、すなわちC.R.A.Pに他ならず、我々はその悲劇に抗うべきであるという信念から、lifeを逆さに綴った造語として名づけられた。

エフィリズムにおいて、重要なのは有感生物の苦しみだけであり、それがどんな生物の、どんな場所にある脳の中で生じているかは問題にはならない。具体的な手段として、我々はその悲劇の再生産をやめることにより、苦しみの連鎖の終焉を目指すべきと考える。

エフィリズムも、生殖に負の価値判断を下すという意味でアンチナタリズムに分類できるが、提唱者であるインメンダム(Inmendham)は、アンチナタリズムとは独立にこの思想にたどり着いた。エフィリズムは、生命のシステムそのものに根本的に問題があるとし、全ての有感生物の(基本的には不妊化による)絶滅を積極的に目指すという点で、最も強い立場と言える(言うまでもなく、すでに存在している個体のウェルビーイングに配慮した方法によってである)。

つまり、アンチナタリズムは生殖に関する倫理的立場の1つであるのに対し、エフィリズムはより広い立場から反生命を訴える思想である。しかし、現実的手段として最も強いアンチナタリズムを採用するという意味で、実質的にアンチナタリズムの一形態となる。


インメンダム:生命と苦しみについて

デイヴィッド・ベネターも、全ての有感生物にとって存在を得ることは害であり、生物のいる惑星よりいない惑星の方が望ましいと述べているが、インメンダムほど積極的に生物全体の未来については語っていない。またベネターの主張は、生殖は道徳的に誤った行為であるからすべきではないことであって、結果として絶滅することが望ましいと述べているだけであり、苦しみを根絶するために生殖をやめるべきだといっているわけではない。

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